数万円分の花がバンバン売れる!? 夜の花屋という寄り道──広尾「F52」チーフバイヤー・今井斉さんインタビュー【2/4】

取材:塩津丈洋、藤井久子、鈴木収春
写真:塩津丈洋
文:鈴木収春

前回のインタビューはこちらから。

──初日に「F52」設立のヒントが詰まっていたんですね。ちなみに、花の企画会社にはどのくらいいらっしゃったんですか。

今井

1年くらいです。普通はあり得ませんが、その花の企画会社では勤めて数カ月で仕入れ担当を任されました。毎朝市場に行ってセリに参加するようになると、他の花屋の知り合いもできてきます。

当時は埼玉の実家暮らしだったのでひとり暮らしに憧れていて、しかも、ひとり暮らしするなら横浜となぜか決めていました。そんなところに、市場で知り合った横浜の花屋の方から「アパートも貸すし、給料もこれだけ出すよ」とささやかれまして。その給料がまた「えっ! いまの倍じゃないですか」みたいな額だったんです。

──かなりの好条件ですね。

今井

それで、その花屋を見に行くこともなく、その場で転職を即決してしまったんですよ。行ってみたら、やはりおいしい話には裏があって、そこは夜の花屋でした。簡単にいうと、夜のお姉さんたちに花を持っていく、繁華街で朝までやっている花屋ですね。

「お金のほうがいいのに」と言われる花たち

今井

花の企画会社でやっていたのは、議員会館に胡蝶蘭を持って行く、「笑っていいとも」にスタンド花を持って行くといった仕事だったので、花屋ってそういうものだと思っていたら……。全く知識もないままに、夜の世界に飛び込んでしまいました。

夜の花屋は特殊な世界で、男の人が毎日、バラとかすみ草を当たり前のように1万円、2万円分買っていきます。女性のお客さんだと、自分の好きなホストの誕生日にスタンド花を贈る感じですね。3万円のスタンド花が、ナンバーワンホストだと50くらい数が出るので、1日で150万円の売上とか。それを4トントラックで持っていくのが僕の仕事でした。

あとは、あっち系の方たちですよね。例えば、親分が入院したときは関係者がお見舞いの胡蝶蘭を頼むので、それを持っていきます。普通はお見舞いって根ものは「(病院に)根づく」という意味があるのでダメなんですけど、あの世界はなぜか胡蝶蘭でした。花を運んでいくと、親分はゴルフスイングしてて、「元気じゃん!」みたいな……。

給料は確かにすごくよかったです。でも、男の人から「俺って言えばわかるから」と言われてキャバクラのお姉さんに花を届けたら「俺じゃわかるわけないじゃん!」と怒られたり、「お金くれたほうがいいのに」と言われたりしているうちに、ハートは荒んでいくわけですよ。

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リセットの後に出会った花屋の小さなお客さん

今井

ここじゃないなと思いながら半年たったある日、事件がありました。配達から戻ってくると、店長がボコボコに酔っ払いに殴られていたんです。「お前が若頭か!」とかどなられていて、「いやいや花屋の店長です」と止めに入ると、今度は僕もボコボコに殴られました。相手はカタギではないですし、やり返したらまずいことはわかっていたので殴られるままにしていたのですが、心では「これで店を辞められるな」と思っていました。

余談ですけど、その日は殴られた後に当時付き合っていた彼女に慰めてもらおうと電話をしたら別れをつげられて、ダブルパンチというか散々な1日でした。でも、いま考えると、リセットという重要な1日だったのかもしれません。

夜の花屋を辞めて、横浜から埼玉の実家に帰る途中で、後に大チェーン展開される花屋に寄ったんです。そうしたら、ちょうど女の子が「お父さんの誕生日に」と花を買っているところで、「僕がやりたいのはこれだった」と思いました。しみじみと。

辞めてから1週間くらいは実家でボーッとしていたんですけど、ある日、自然と花に触りたくなったんですよね。それで、女の子を見た花屋に面接を受けに行きました。「ご自宅に花と緑のある毎日を」というコンセプトで駅前を中心に展開している花屋で、存在を知ったときから共感できるなと思っていたんです。

<次回に続く!>

今井さんに会えるイベントが2/1(土)に開催されます。気になる方はこちらもチェックを!

プロフィール

今井斉(いまい・ひとし)
1979年、北海道生まれ。腰痛で野球が続けられなくなったのを機に、花好きの両親の影響で花屋を志す。花の企画会社、繁華街向けの花屋を経て、大手個人向け花屋に転職。年間4億円以上を売り上げる渋谷の某店舗の店長などを経験する。退職後、2013年3月、培ってきたネットワークを生かし、こだわりの生産者が育てた旬の花のみを扱う花屋「F52」を設立。生産者のPRを兼ねた異色の花屋として話題を呼んでいる。
http://www.f52.jp/

鈴木収春

鈴木 収春

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「あめつち」は、2012年より開催しているコケの勉強会&ワークショップ「コケトレ──コケと親しむ緑のトレーニング」を発端に誕生しました。

イベントでは、「最適な日当たりは?」「植物はずっと家の中に入れておいてはダメ?」「水やりの仕方は?」「観察に適したルーペは?」「色が変わってきた場合の対処法は?」など、さまざまな質問をいただきました。このような疑問をもっている方は全国にいると思いますが、そういうときにおすすめしたい植物のサイトが見当たらなかったことも、イベントをサイトに発展させようと考えた理由のひとつです。

江戸時代などの歴史資料を見ると、日本人のあいだでは、かつて植物と共生する知恵が共有されていたことがうかがえます。「あめつち」では、"日本の植物世界と日本人の共生"を思い出すことをテーマに、植物と寄り添って暮らしていきたい人に向けて、オリジナルのコンテンツを発信していきます。

【具体的に発信していくコンテンツ】
●植物に寄り添う、真摯に向き合う人たちを紹介します。
●園芸技術だけでなく、鑑賞(かしこまったものだけではなく、通りすがりに眺める木なども含めて)や歳時記の楽しみ方など、植物に気づく、寄り添う暮らし全般を紹介します。
●植物の本来の姿、好ましい育て方を紹介します。穴の空いていない植木鉢など、人の都合だけに合わせたノウハウを見直していきます。
●隠花植物など、あまり注目されていない植物群にもスポットをあて、植物の面白さや多様性を紹介します。

オーストリア出身の哲学者マルティン・ブーバーは、自分以外をモノのように捉えることを、「我とそれ」の関係と呼びました。疎外感を生む「我とそれ」の関係ではなく、相手を自分と同格に捉えて対話していく「我と汝」の関係こそが世界を拓く。それがブーバーの哲学です。

かつての日本人がそうしていたように、「我とそれ」になってしまった植物との関係を「我と汝」に捉え直すサポートをしていくことが、「あめつち」の目指すところです。スタッフ一同もまだまだ植物の世界を研究中ですが、4人で始めたサイトがどこまで根をのばしていくか、見守っていただけると嬉しいです。

「あめつち」運営スタッフ一同

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塩津丈洋
塩津 丈洋

植物研究家。塩津丈洋植物研究所代表。緑豊かな和歌山県に生まれ、祖父は農家を営み、幼い頃から植物と身近な環境で育つ。盆栽職人の元で修行後 、2010年、植物の治療・保全を主とした塩津丈洋植物研究所を設立。自然環境問題が深刻化している現在に、改めて植物の存在価値を見つめ直すための活動を行っている。IID世田谷ものづくり学校内「自由大学」教授、名古屋芸術大学OHOC講師。 http://syokubutsukenkyujo.com/

藤井久子
藤井 久子

1978年、兵庫県出身。明治学院大学社会学部卒業。編集ライター。文系ド真ん中の半生ながら幼少期から自然が好きで、いつしかコケに魅了されるようになる。初の著書『コケはともだち』(リトルモア)は異例のベストセラーに。趣味はコケ散策を兼ねた散歩・旅行・山登り。とりわけ好きなコケは、ギンゴケ、タマゴケ、ヒノキゴケ。

鈴木収春
鈴木 収春

クラウドブックス株式会社代表取締役。1979年、東京生まれ。講談社客員編集者を経て、編集業の傍ら2009年より出版エージェント業を開始。2011年は須藤元気『今日が残りの人生最初の日』(講談社)、ドミニック・ローホー『シンプルリスト』(講談社、11万部)等、2012年はタニタ&細川モモ『タニタとつくる美人の習慣』(講談社、7万部)等がヒット。 http://cloudbooks.biz/

藤代 雄一朗

WEB制作会社に勤務。塩津丈洋の「新盆栽学」第一期生。趣味で運営するサイト「泣く子も叫ぶ爆発りんご飴サイト ringo-a.me」「インタビューサイト ボクナリスト」で、WEB制作・スチール撮影・動画撮影・音楽制作などを担当。最近はアーティストのPV撮影なども行なっている。 https://twitter.com/yuichirofuji