更新日:2014年01月22日
取材:塩津丈洋、藤井久子、鈴木収春
写真:塩津丈洋
文:鈴木収春
──初日に「F52」設立のヒントが詰まっていたんですね。ちなみに、花の企画会社にはどのくらいいらっしゃったんですか。
今井
1年くらいです。普通はあり得ませんが、その花の企画会社では勤めて数カ月で仕入れ担当を任されました。毎朝市場に行ってセリに参加するようになると、他の花屋の知り合いもできてきます。
当時は埼玉の実家暮らしだったのでひとり暮らしに憧れていて、しかも、ひとり暮らしするなら横浜となぜか決めていました。そんなところに、市場で知り合った横浜の花屋の方から「アパートも貸すし、給料もこれだけ出すよ」とささやかれまして。その給料がまた「えっ! いまの倍じゃないですか」みたいな額だったんです。
──かなりの好条件ですね。
今井
それで、その花屋を見に行くこともなく、その場で転職を即決してしまったんですよ。行ってみたら、やはりおいしい話には裏があって、そこは夜の花屋でした。簡単にいうと、夜のお姉さんたちに花を持っていく、繁華街で朝までやっている花屋ですね。
今井
花の企画会社でやっていたのは、議員会館に胡蝶蘭を持って行く、「笑っていいとも」にスタンド花を持って行くといった仕事だったので、花屋ってそういうものだと思っていたら……。全く知識もないままに、夜の世界に飛び込んでしまいました。
夜の花屋は特殊な世界で、男の人が毎日、バラとかすみ草を当たり前のように1万円、2万円分買っていきます。女性のお客さんだと、自分の好きなホストの誕生日にスタンド花を贈る感じですね。3万円のスタンド花が、ナンバーワンホストだと50くらい数が出るので、1日で150万円の売上とか。それを4トントラックで持っていくのが僕の仕事でした。
あとは、あっち系の方たちですよね。例えば、親分が入院したときは関係者がお見舞いの胡蝶蘭を頼むので、それを持っていきます。普通はお見舞いって根ものは「(病院に)根づく」という意味があるのでダメなんですけど、あの世界はなぜか胡蝶蘭でした。花を運んでいくと、親分はゴルフスイングしてて、「元気じゃん!」みたいな……。
給料は確かにすごくよかったです。でも、男の人から「俺って言えばわかるから」と言われてキャバクラのお姉さんに花を届けたら「俺じゃわかるわけないじゃん!」と怒られたり、「お金くれたほうがいいのに」と言われたりしているうちに、ハートは荒んでいくわけですよ。
今井
ここじゃないなと思いながら半年たったある日、事件がありました。配達から戻ってくると、店長がボコボコに酔っ払いに殴られていたんです。「お前が若頭か!」とかどなられていて、「いやいや花屋の店長です」と止めに入ると、今度は僕もボコボコに殴られました。相手はカタギではないですし、やり返したらまずいことはわかっていたので殴られるままにしていたのですが、心では「これで店を辞められるな」と思っていました。
余談ですけど、その日は殴られた後に当時付き合っていた彼女に慰めてもらおうと電話をしたら別れをつげられて、ダブルパンチというか散々な1日でした。でも、いま考えると、リセットという重要な1日だったのかもしれません。
夜の花屋を辞めて、横浜から埼玉の実家に帰る途中で、後に大チェーン展開される花屋に寄ったんです。そうしたら、ちょうど女の子が「お父さんの誕生日に」と花を買っているところで、「僕がやりたいのはこれだった」と思いました。しみじみと。
辞めてから1週間くらいは実家でボーッとしていたんですけど、ある日、自然と花に触りたくなったんですよね。それで、女の子を見た花屋に面接を受けに行きました。「ご自宅に花と緑のある毎日を」というコンセプトで駅前を中心に展開している花屋で、存在を知ったときから共感できるなと思っていたんです。
■今井さんに会えるイベントが2/1(土)に開催されます。気になる方はこちらもチェックを!
今井斉(いまい・ひとし)
1979年、北海道生まれ。腰痛で野球が続けられなくなったのを機に、花好きの両親の影響で花屋を志す。花の企画会社、繁華街向けの花屋を経て、大手個人向け花屋に転職。年間4億円以上を売り上げる渋谷の某店舗の店長などを経験する。退職後、2013年3月、培ってきたネットワークを生かし、こだわりの生産者が育てた旬の花のみを扱う花屋「F52」を設立。生産者のPRを兼ねた異色の花屋として話題を呼んでいる。
http://www.f52.jp/
鈴木 収春