更新日:2014年01月30日
取材:塩津丈洋、藤井久子、鈴木収春
写真:塩津丈洋
文:鈴木収春
──それが前職の有名な人気花屋ですね。花をもらうときは、たいていそこの花屋のことが多いです。
今井
その花屋を仮にFとしますと、当時のFは、人気はすごいけど、店舗を少しずつ拡大しているところだったので、採用はひとりだけで倍率がかなり高かったんです。
なんとか最後のふたりまでには残ったんですが、インターン扱いで、どちらかひとりは落とすつもりだと言われました。残ったもうひとりの女の子からも、「想いが違うから、今井くんには負けません」と言われてしまい、「僕はそこまでじゃないかも」と面くらいましたね。
それでもやれるだけのことはやって、残れることにはなったんですが、働いていた大泉学園の店舗ではやっぱり雇えませんと言われてしまい……。インターンのままでどうしようかと思っていたところ、Fの社長の知人のブライダルで男手が足りなくて、本部から手伝えないか声をかけられたんです。
手伝いに行って、初めて社長と会いました。「大泉学園では働けなくて、千葉の店舗に行ってみようと思っている」と話すと、「本店に行け」と言ってもらえて、アルバイトですが働けることになりました。
アルバイトとして働いていたのは2年間ですね。本店は小売だけではなくて、ブライダルやオフィスの緑化なども手がけていたので、いろいろと吸収させてもらいました。学んだことを店長として生かしてみたいという思いが強くなったときに、池袋の店舗の店長に抜擢してもらい、晴れて社員になりました。
池袋で2年やっていたら、渋谷の店舗に異動の打診がきました。そこは1日100万円以上、年間で4億3000万円を売り上げる日本一の店舗です。「店長がいいです」と、OKが出るわけがないと思いながら言ってみたら、なんとOKが出てしまったんです。
──あの店舗、あの大きさで4億円も売上があるんですね。驚きました。
今井
そうなんです。いまだったら自分をひっぱたいてやりたいですけど、「花は売れる」と思ってしまうくらいの勢いで、行列ができて次々に花が売れていきました。どうしたらもっと売れるかを考えるよりも、何をどう当て込んでまわしていくかという部分を考えていた気がします。スタッフは30名。イベントのときは40名に指示を出していました。
もともと好きだったんですけど、このころから、積極的に産地をまわるようになります。Fでも月に一度、産地をまわる集まりがあったのですが、それでは物足りなくなって、週に1~2回は産地を独自にまわっていたと思います。こんな花をつくってほしいとか、作付けから自分の店だけで相談できる規模だったので、産地まわりにどんどんハマっていきました。
ただ、花はバンバン仕入れるし、人もバンバン投入していたので、2年で渋谷の店舗は外されてしまいました。利益はもちろん出ていたのですが、会社の求める利益率を守れなかったんです。
今井
その後に異動したのが大森の店舗でした。渋谷のような規模の店ではないのですが、大森の店舗がまたよかったのが、市場がすごく近い店舗なんです。生産者が市場にいくついでに寄ってくれることもあって、都内にいながら生産者とお話をする機会がさらに増えました。
大きい店じゃなくても、生産者とやりとりしながら売りたいものやおすすめしたいものを売っていくことができると確信できたのは、大森の店舗のおかげですね。でも大森に移って1年後、僕は難病にかかってしまうんです。
──難病とは?
今井
ギラン・バレー症候群という神経系の難病で、身体が動かなくなる病気です。最初は手足にしびれがあるので、おかしいなと思って近所の病院に行ったんです。そうしたら、「原因はわからないけど異常があるのは確かだから、ここに行きなさい」と神経系の病院を紹介されました。
その病院で、「おそらくギラン・バレー症候群だろう。これからあなたは歩けなくなって、会話もできなくなります」と宣告されました。即入院です。
それからは、1日ごとにおじいさんになっていく感じでした。ペットボトルも手であけられなくて、歯を使ってあけるような状態です。徐々に目も閉じられなくなって、常に半開きでした。病室でお見舞いの花束をもらう立場になって、花は本当に癒やしになると思いましたね。
呼吸も少しずつ不自由になり呼吸器をつける寸前のところで治療法が効いて回復するのですが、死が身近なところに迫ってきたことで、考え方が大きく変わりました。健康でなければなにもできないということと、まだやり残したことがあるという気持ちが強くなったんです。もともと独立欲が強く、Fにも3年で辞めると宣言していたのに、気づけば5年を超えて、10年目が見えてきていました。
独立して、これまでにない自分のやりたい店をやらなくては。そう思いました。2カ月の入院と、復帰までの半年を支えてくれた家族と店のスタッフには、本当に感謝しています。
▲「F52」スタッフの松本さん。笑顔が素敵です。
■今井さんに会えるイベントが2/1(土)に開催されます。気になる方はこちらもチェックを!
今井斉(いまい・ひとし)
1979年、北海道生まれ。腰痛で野球が続けられなくなったのを機に、花好きの両親の影響で花屋を志す。花の企画会社、繁華街向けの花屋を経て、大手個人向け花屋に転職。年間4億円以上を売り上げる渋谷の某店舗の店長などを経験する。退職後、2013年3月、培ってきたネットワークを生かし、こだわりの生産者が育てた旬の花のみを扱う花屋「F52」を設立。生産者のPRを兼ねた異色の花屋として話題を呼んでいる。
http://www.f52.jp/
鈴木 収春