戦後に受け継がれた芍薬たち──神奈川県寒川町「大谷芍薬園」大谷光昭さんインタビュー【1/3】

取材:塩津丈洋、鈴木収春
写真:海老原隆、塩津丈洋(最上部写真のみ)
取材協力:今井斉、今井彩(広尾「F52」)
文:鈴木収春

こだわりの生産者がつくった旬の花のみを扱う花屋・広尾「F52」の今井夫妻から、「湘南にすごい芍薬(しゃくやく)をつくっている生産者の方がいる」と教えてもらったのが、今回訪問させていただいた神奈川県寒川町の「大谷芍薬園」

既存の品種や洋種に加え、大谷系と呼ばれるオリジナル品種も生産。母の日ギフトを中心とした芍薬の通販は大人気で、全国から注文が殺到しています。なぜ「大谷芍薬園」はこんなにファンが多いのか? 生産を手がける2代目の大谷光昭さんに、その秘密をうかがいました。

戦前は温室でスイートピーとマスクメロンを生産

──光昭さんは2代目とうかがっていますが、「大谷芍薬園」の成り立ちはどんなものだったのでしょうか。

大谷

うちはもともと農家で、親父(芍薬博士と呼ばれた大谷応雄さん)が農業高校を卒業した後、昭和4年に仲間と一緒に温室を建ててスイートピーとマスクメロンの栽培を始めました。

戦前は、マスクメロン1個が米1俵の価値といわれていて、いまの貨幣価値だと1万2000円くらいでしょうか。銀座の千疋屋や港区芝の生花市場にも出荷していて、かなり儲かっていたようです。

でも、昭和18年、親父が戦争に駆り出されます。翌19年には、近くの軍事施設が爆撃で狙われる恐れがあるとのことで、温室に取り壊し命令が出ました。戦争が終わって親父は無事帰ってきたものの、温室を再建しようにも物資がなく、貯めていたお金もインフレで紙切れになってしまったという状態でした。

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▲芍薬を採花中の大谷光昭さんたち(撮影:海老原隆)

数百品種の芍薬との出会い

大谷

そんなときに親父が出会ったのが芍薬です。当時の農家は、国全体が食糧不足ですから、例えば(「大谷芍薬園」のある)田端地域ではこれだけの米を出せとか、強制的に農作物を供出させられていたんです。

親父はその食糧調整委員だったのですが、県の農事試験場(編注:作物の品種改良や、農業技術開発のための研究機関)で会議があったんですね。そして、会議の昼休みかなにかに試験場の温室で見つけたのが、じゃがいもなどの食糧が大々的に生産されているかたわらで、片隅に追いやられている数百品種の芍薬でした。

──当時からそんなにたくさんの芍薬が育てられていたんですね。

大谷

芍薬と花菖蒲の育種で有名な宮澤文吾先生が、海外輸出向けに品種改良・育成したものです。親父は片隅に追いやられている芍薬たちがかわいそうになったそうで、委託栽培のようなかたちで、品種の保存も兼ねて、150品種ほどの芍薬を預かることを決めました。10年後に元の株を返す代わりに、増やした分の芍薬はもらえるという契約でした。

それから、温室の跡地も活用しながら芍薬の栽培を始めたんです。これが「大谷芍薬園」の発端ですね。農事試験場の担当者からいろいろ聞いて、品種改良も見よう見まねでやるようになり、大谷系の芍薬が出回るようになったのが昭和30年ごろです。

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▲こちらが「F52」も絶賛の「大谷芍薬園」の芍薬!(撮影:海老原隆)

働きながら芍薬づくりをサポート

──光昭さんはどのように芍薬と関わるようになったのでしょうか。

大谷

もちろん小さい頃から親父を手伝ってはいましたけど、私が学生の頃は、ちょうど農業の曲がり角といわれていて、都市化、工業化が進み、後継者が他産業に流出するようになってきていたんです。

うちもどうしようかということになりましてね。結論としては、教育大学に入って農学を学べば、農業を教える教員や研究員になってもいいし、また農業に戻っても大丈夫だろうと、ふたまたをかけることにしたんです。

卒業後に就職したのは、芍薬を持ってきた農事試験場(現・農業総合研究所)です。跡を継ぐまでは、親父とおふくろに、近所の手伝ってくれる男性がメインで、芍薬園を経営していました。ただ、土日や夏休みはここに戻って作業を手伝っていたので、芍薬の栽培技術は就職しているあいだに身につきましたね。

親父が平成12年に亡くなりまして、それがちょうど私が定年退職になる年だったんです。試験場の同僚からも、「大谷さんのところにはいい芍薬があるんだから、継いで芍薬をつくるべきだ」といわれました。親父が亡くなったのが退職日の半年前だったので、そのあいだに草がぼうぼうになってしまいましたが、なんとか手入れをして、親父の跡を継ぐことになりました。

<次回に続く!>

プロフィール

大谷光昭(おおたに・みつあき)
1940年生まれ。1963年、国立東京教育大学農学部農学科卒業後、神奈川県農業試験場(旧・農事試験場、現・農業総合研究所)に勤務。神奈川県庁農政部への複数回の異動を経て、2001年、農業総合研究所退職。「大谷芍薬園」を継ぎ、現在に至る。
http://otani-farm.net/

購入インフォメーション

「大谷芍薬園」の芍薬は、広尾「F52」にて今年は5月2日(金)より購入できます(場所は下記を参照)。また、「大谷芍薬園」のウェブから宅配での購入も可能です(15本4000円~)。芍薬のシーズンは3週間。今年から初夏は芍薬を楽しんでみてはいかがでしょうか。

■広尾「F52」
渋谷区広尾5-17-3 広尾aroboテラス前(日比谷線広尾駅徒歩3分)
営業時間:11時~20時
TEL:03-5534-2713
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鈴木収春

鈴木 収春

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「あめつち」は、2012年より開催しているコケの勉強会&ワークショップ「コケトレ──コケと親しむ緑のトレーニング」を発端に誕生しました。

イベントでは、「最適な日当たりは?」「植物はずっと家の中に入れておいてはダメ?」「水やりの仕方は?」「観察に適したルーペは?」「色が変わってきた場合の対処法は?」など、さまざまな質問をいただきました。このような疑問をもっている方は全国にいると思いますが、そういうときにおすすめしたい植物のサイトが見当たらなかったことも、イベントをサイトに発展させようと考えた理由のひとつです。

江戸時代などの歴史資料を見ると、日本人のあいだでは、かつて植物と共生する知恵が共有されていたことがうかがえます。「あめつち」では、"日本の植物世界と日本人の共生"を思い出すことをテーマに、植物と寄り添って暮らしていきたい人に向けて、オリジナルのコンテンツを発信していきます。

【具体的に発信していくコンテンツ】
●植物に寄り添う、真摯に向き合う人たちを紹介します。
●園芸技術だけでなく、鑑賞(かしこまったものだけではなく、通りすがりに眺める木なども含めて)や歳時記の楽しみ方など、植物に気づく、寄り添う暮らし全般を紹介します。
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オーストリア出身の哲学者マルティン・ブーバーは、自分以外をモノのように捉えることを、「我とそれ」の関係と呼びました。疎外感を生む「我とそれ」の関係ではなく、相手を自分と同格に捉えて対話していく「我と汝」の関係こそが世界を拓く。それがブーバーの哲学です。

かつての日本人がそうしていたように、「我とそれ」になってしまった植物との関係を「我と汝」に捉え直すサポートをしていくことが、「あめつち」の目指すところです。スタッフ一同もまだまだ植物の世界を研究中ですが、4人で始めたサイトがどこまで根をのばしていくか、見守っていただけると嬉しいです。

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塩津丈洋
塩津 丈洋

植物研究家。塩津丈洋植物研究所代表。緑豊かな和歌山県に生まれ、祖父は農家を営み、幼い頃から植物と身近な環境で育つ。盆栽職人の元で修行後 、2010年、植物の治療・保全を主とした塩津丈洋植物研究所を設立。自然環境問題が深刻化している現在に、改めて植物の存在価値を見つめ直すための活動を行っている。IID世田谷ものづくり学校内「自由大学」教授、名古屋芸術大学OHOC講師。 http://syokubutsukenkyujo.com/

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藤井 久子

1978年、兵庫県出身。明治学院大学社会学部卒業。編集ライター。文系ド真ん中の半生ながら幼少期から自然が好きで、いつしかコケに魅了されるようになる。初の著書『コケはともだち』(リトルモア)は異例のベストセラーに。趣味はコケ散策を兼ねた散歩・旅行・山登り。とりわけ好きなコケは、ギンゴケ、タマゴケ、ヒノキゴケ。

鈴木収春
鈴木 収春

クラウドブックス株式会社代表取締役。1979年、東京生まれ。講談社客員編集者を経て、編集業の傍ら2009年より出版エージェント業を開始。2011年は須藤元気『今日が残りの人生最初の日』(講談社)、ドミニック・ローホー『シンプルリスト』(講談社、11万部)等、2012年はタニタ&細川モモ『タニタとつくる美人の習慣』(講談社、7万部)等がヒット。 http://cloudbooks.biz/

藤代 雄一朗

WEB制作会社に勤務。塩津丈洋の「新盆栽学」第一期生。趣味で運営するサイト「泣く子も叫ぶ爆発りんご飴サイト ringo-a.me」「インタビューサイト ボクナリスト」で、WEB制作・スチール撮影・動画撮影・音楽制作などを担当。最近はアーティストのPV撮影なども行なっている。 https://twitter.com/yuichirofuji